遺書、もしくは 足あと。

カノウイノリの独白です。重たい感じですみません。

昨年5月の下書きよりw

また年イチ更新かよ、と思ってたら2年空いてたのに驚きつつ、下書きを発見した次第。

 

以下そのまま引用↓↓↓

 

またも間が空き、今年はGWも過ぎて。

 

いちおう言い訳めいた事情がなくもなし、ではあるけれど、直近にして昨年のポスト同様、「わざわざ書くほどのことがない」という。

 

ありすぎるっちゃありすぎるけど、またもや「よりレアなカード」が揃い過ぎて、ますます色々特定の網が狭まるなぁと。

 

それだけ面白おかしい人生送ってるとも言えるけど、そんな濃厚な旨味、宙に放っても、人寄せする気もないから何の役にも立たんし。

 

ただこの「空白期間」に、まるで知らなかったものに出会った、というよりは、どこかで何か、その糸口に触れてたことが、よりわかりやすく自分の眼前に立ち現れた、というような体験をいろいろと味わったような気はする。

 

別に総決算モードになるほど人生終盤とも思ってないけど(たぶんずっとそんなことは思えないだろうし、逆にいつもそうかもしれないとも思ってる、とも言えはする。ただ「わからん」だけである)、これまで拾ってきたり何なら靴底にくっついてきたりした、いろんなピースが「何かのカケラ」なのやもしれん、と思えてきたような気はする。

 

明確に、ここに壺が埋まってる!とわかって掘り返す作業は、ゴールである最終形がわかってるから進み具合がわかって、それが脇目も振らず作業に没頭できる効果を産むのやもしれんけど、自分にとっては、答えはわかってて、その過程は「誰かがやればいい作業」でしかないことにはほとんど興味を持てない。

 

厳密に言えば、興味の持てないことはそう映る、の方が実態に近いけれど。

 

むしろ、壺なのか皿なのか、作り損ねを割ったカケラでしかないのか、「わからん何か」が「ただここにある」という状態がまずあって、何やらいろいろ集まってきたら、「あ!これ壺ちゃう?」みたいに「見えてくる」方がずっとオモロい、と思ってしまう。

 

そういや先日たまたま、象の骨が出てきてコレ何や?言うてるうちに組み方間違えて龍っぽい頭こさえて「龍、おるんや!」てネッシー的なことになってもた、って史実が展示してある博物館の中継見たけどw

 

答えが分かりきってたとしたらそんなスカタンは誰も起こさんわけで。

自分としては、答えが見えたと思ったら全然明後日の方向やった、って笑い話が産生される方がずっと人間らしいやろ、と思えるんで、自分のこの一年あまりも、象を龍と勘違いしてしまうリスクを孕みながら、それでもちょっとずつ、それぞれがバラバラなものでなく、何なら全てが「ひとつの何かを成す構成要素らしい」ってことが、いよいよ目に見えてきた、てな感を覚えるための検証期間の始まりだったようにも思える。

 

これは始まり、あるいは新たなフェーズに入ったという状態で、別に今すぐに完成するわけでもないと思うので、拾うたびに、あるいは集まった欠片に気付かされるんやろうし、そうあったらええな、と思っている。

 

↑↑↑以上、引用終わり

 

改めて読んで、「預言者か」てなってるw

実際、“始まり”でしかなかったな、と。

 

そのココロは、また別のエントリーとして。